じろうの備忘録

好きな風に書きます

私の大好きな、無敵級のあなたへ——

 こんにちは じろーです。

 

 さて本日は7月29日

 

無敵級*ビリーバー発売2周年おめでとうございます

 この曲に、そして中須かすみちゃんに出会えることが出来てとても嬉しく感じています。

 

 私が虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を知ってからそろそろ1年が経とうとしています。この1年の間に本当に色々なことがありました。

 右も左もわからないまま無敵級*ビリーバーの記事を書いてみたり、4thライブで大阪に行ったり、アニメ2期の放映をお台場でリアタイしたり、週刊かすみん書いてみたり(今思えばよくあんなの13週も書いたよね)

 とても充実した日々であったと思います。

 

 さて今回の記事なのですが、無敵級*ビリーバー2周年そしてアニメ2期も放映が終了したということで、このタイミングで今一度自分の中での中須かすみちゃんを整理したいと感じ、書くことを決意しました。

 以前の無敵級の記事とは異なり、考察というよりも私のかすみちゃんへの気持ちという面の方が大きくなってしまいましたがお付き合い頂けると嬉しいです。

 「以前の無敵級の記事」

     ↓↓↓

ziroziroziro.hatenablog.com

 

 

 

 かすみちゃんとの出会い

 私が中須かすみというキャラクターの存在を知ったのはアニメ1期を視聴したときでした。といってもリアルタイムで放映されたときに見たというわけではなく、去年の秋頃に偶然アニメのサブスクの方で一気に視聴したのですが…

 

 かすみちゃんは第一印象から、本当に表情が豊かで目立っていて目を惹きつけられるような存在でした。友人と見ていて、「かすみん面白すぎるだろw」みたいなことを言っていた記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 

 私はそんなかすみちゃんのことがあまり好きではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 私が今まで好きになったキャラクターを振り返ると、テンションが低く自分に自信が持てないようなキャラクターを好きになっていた傾向があった気がします。

 何故かというと、そういうキャラクターには感情移入がしやすいから。

 人が人を好きになることには共感できるか否かということが重要であると考えています。

 自分に全く自信がなく、自分自身が嫌いだと考えている私には同じ境遇にいるようなキャラクターがよく刺さりました。

 

 かすみちゃんは自分の好きなキャラクター像からはまるっきり真逆のような存在です。

 自分で自分のことを「かわいい」なんて言い張れる時点でもう私にとっては共感の欠片もなく、まるで別の生き物を見るかのような感覚で彼女のことを見ていました。

 

 私にとってかすみちゃんは「無敵」そのものでした。彼女のようには私は決してなることはできない。彼女は私とは絶対的に違う存在だ。だからこそかすみちゃんのことを私は苦手だと感じていました。

 今考えれば、私がかすみちゃん推しになる世界線はなかったのではないかと思います。

 そんな私の運命を変えた出来事、それが無敵級*ビリーバーとの出会いでした。

 

 

 無敵では"なかった"ビリーバー

 当時アニメを一通り視聴した私は、虹ヶ咲というコンテンツに多少興味を持ち、少しずつ楽曲を聞いたりしていました。

 (ファーストインプレッションで一番好きな子は実は璃奈ちゃんでした)

 

 そんなとき、動画サイトのおすすめからふととある動画を見つけます。

 

 無敵級*ビリーバー

youtu.be

 

 

 この曲を初めて視聴した時のことを未だに覚えています。それは自分にとって本当に衝撃的なものでした。

 レインボーブリッジでかわいく踊るかすみちゃんに衝撃を覚えたのではありません。

 ひとりぼっちでレインボーブリッジを歩く姿、寂しげな背中でお台場の夜景を見つめる姿、「私にだってできるはずなのにな」と物憂げな表情で呟く姿、私の想像とはかけ離れたかすみちゃんの姿にとんでもない衝撃を覚えました。

普段は見ないような彼女の表情

 

 かすみちゃんは決して「無敵」ではありませんでした。

 

 彼女は、自分がそこまで好きというわけではなく、ときには無力感を感じていて、他の人のことも羨んで、それでも必死に自分を取り繕っている普通の1人の人間なのかもしれない、そう感じるようになっていきました。

 しかし、普段のかすみちゃんからそのような感情はほとんど読み取ることはできません。

 彼女は歌の中でこう歌っています。

 

 「この世界中でたった1人だけの私を、もっと好きになってあげたい」

 「この世界中の全員がNOだって言ったって、私は私を信じていたい」と

 

 「好きになってあげ”たい”」「信じてい”たい”」

 この歌詞から読み取れるのは、かすみちゃんは心の底から自分を好きというわけではないし信じてもいないということです。それができていればこんな言い回しにはならないのではないかと思います。

 でもそこから彼女は変わろうとしています。本当はかすみちゃんはそこまで強いというわけでは決してない、それでもそんな姿を周りには見せずに必死で強くあろうとすることができる、それが中須かすみという人間の本質であり強さなのではないかと私は感じ始めてきました。

 

 この子のように生きてみたい。

 

 かすみちゃんを見ているうちに自然と私はそんなことを思い始めてきました。

 かすみちゃんは私に、「自分を好きでいようとする」ということを教えてくれました。

 それは今まで自分の中にはなかった感情であり、自分が嫌いだということをあたかも当然のことのように受け入れて生きてきた自分にとって余りにも革命的な出来事でした。

 

 無敵なんかじゃない、強くなんかない、それでも自分を信じることだけはできる一人のちっぽけな普通の女の子に、いつしか私は心を奪われ目を離せなくなっていました。

 

 

「かすみん⭐︎ワンダーツアー」から見た無敵級*ビリーバー

 皆さんの記憶にも新しいとは思いますが、アニメ虹ヶ咲10話にて「かすみん☆ワンダーツアー」というタイトルのお話が放映されました。この回のかすみんかわいすぎない…?

BUCHO…

 このお話はかすみちゃんにとっての最重要と言ってもいいお話であったと感じています。

 このお話を見て、私は彼女への一つの疑問点が浮かびました。

 

 彼女のここまでの部長へのこだわりは一体どこからやってきているのだろうか?

 

 さすがに見ていない方はいないとは思いますが一応説明すると、このお話はかすみんが部長であると同好会のみんなに認めさせるためにしず子の家でのお泊り会を通じて”かすみん部長化計画”なるものを企てるというものです。

 計画立案をしてかわいい旅のしおりも書いてみんなが寝ている間も次の日の予定を考えて…コミカルに描かれているので違和感がないですが冷静に考えると普通にできることではありません。

ククク…皆をバッチリ引率してみせます…

 私はこのかすみちゃんの一連の行動こそが、自分に対する自信のなさからきているのではないかと考えました。

 かすみん⭐︎ワンダーツアー以前からでも同好会のみんなはかすみんのことを部長だと認めていないなんてことはないと思っています。

 かすみちゃんは誰よりもスクールアイドルに真剣で同好会のこともちゃんと考えてる立派な部長です、愛さんの「部長はかすみんだよ!」というセリフからもそのことが伺えます。

 新しく加入した3人はとりあえず置いておいて、かすみんが部長ではないと考えているのは実はかすみちゃんだけだったのではないでしょうか。

 自分自身が潜在意識的に部長っぽくないと考えているからこそ皆に自分が部長であると強くアピールをしたかったと考えるのが自然なのではないか…私はそのような印象をこの回のかすみちゃんから感じ取りました。

 

 これって、無敵級*ビリーバ―におけるかすみちゃんに共通する部分だなって思います。

 

 自分が同好会の部長だと認めて貰っているとは思えない、そこまでの自信はない。

 だからそこからどうすればいい?どうすれば自分を認めて貰える?

 そんな思考に切り替えられることができる。この姿勢こそがまさしく彼女の強さと言えるのではないでしょうか?

 かすみちゃんにとっては「同好会の部長」は単なる肩書ではなく、自分が無敵になるためにどうしても必要な称号の称号のようなものなんだと思います。

 

 「そしたらきっと、かすみんは部長として立派にやれるって認めて…」

 かすみちゃんは部長としてみんなに認めてほしかった、その実感が欲しかった。

 そうすることで自分自身こそが部長であると初めて思える。自分に自信を持つことができる。そう考えていたとしても不思議ではありません。

 

 「昨日も今日も最高に楽しかった、これも全部かすみん部長のおかげだね」

 だからこそ、この侑ちゃんのセリフがかすみちゃんにとってどれほど嬉しい言葉であったのか、どれほど報われた言葉であったのか、私には想像もできません。

 

や……かわ…え…かわい…

 きっとかすみちゃんは、これからもどんなことでも全力で目の前のことに取り組み、周りの人たちも巻き込んで楽しくしながら、少しづつ彼女の理想である「無敵なかすみん」へと近づいていくのでしょう。

 そんなことをこのかすみん☆ワンダーツアーというお話から感じ取りました。

  

 

 無敵級のあなたへ

 この無敵級*ビリーバーという曲は聴く側である私たちに向けられて歌っているというよりは、かすみちゃんがかすみちゃん自身に向けて自己暗示のように必死に言い聞かせて歌っているという印象を受けています。

 自分に対するマイナスなイメージはないわけではない。それでも、迷いながらでも自分のなりたい自分へと少しずつでも進んでいく。その姿は私の目にどうしようもなく美しく映りました。

 

 この歌は決して「無敵」なんかではない1人の女の子が「無敵級」になるための歌です。

 

 かすみちゃんが真の理想である無敵になる日がいつになるのかはわかりません。

 1年後かもしれない、高校卒業してスクールアイドルをやめてからかもしれない、おばあちゃんになってからかもしれない、もしかしたら死ぬまで無敵になれる日は来ないのかもしれない。

 でもそれでいいんだと思います。

 私は人は「無敵」である必要って実はないんじゃないのかなと感じています。

 では何が必要なのか、それは無敵であろうとすることなんだと思います。

 そしてそれはかすみちゃんだけではなく、私たち全員に言えることではないでしょうか?

 きっと誰であろうと自分で自分のことを認めてあげたいと思っていて、でもそれは決して簡単なことではありません。かすみちゃんにとってだって本当に難しいことです。

 それでもかすみちゃんは必死に自分を認めようと努力をしています。それは同好会でのスクールアイドルの活動であったりかわいいに対する研究であったりコッペパンづくりであったり、その一つ一つが「中須かすみ」という存在を形づくっているのです。

 それらの行動によって「中須かすみ」は自分を認めていくことができ、私たちの見ている「かすみん」が誕生したというのなら、きっと私たちだって「かすみん」になることができるのではないでしょうか?

 無敵になることは誰にでもできることではない、でも無敵であろうとすることはできる、「無敵級」になることはできる。

 そうやって自分を信じて全力で生きている姿こそがきっと「無敵級*ビリーバー」なのだと思います。

 

 

 一度は本気で生きることに絶望していた私ですが、この無敵級*ビリーバーに出会えたことで少し前向きに生きていけるようになったと思います。

 かすみちゃんをずっと見ていたい、かすみちゃんと一緒に成長していきたい、かすみちゃんのようにときにはしんどくても楽しく笑って生きていきたい、それが今の私の素直な気持ちです。

 

 この記事を読んでくれた方にとってもかすみちゃんと無敵級*ビリーバーが少しでも特別な存在になってくれればとても嬉しく思います。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 私の大好きな、無敵級のあなたへ

 

 あなたは私の憧れであり目標です。

 すぐには無理かもしれない、それでもあなたを好きになることができた私ならきっと私自身のことも好きになれる、そう信じています。

 あなたには本当にたくさんの大切なものを貰いました、ありがとう。

 無敵級な、ありったけの感謝の気持ちを込めてあなたにこの言葉を送りたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かすみん、世界でいちばんかわいいよ